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『アズレン』改造艦の歴史を探る(8):戦艦扶桑『アズールレーン』

『アズールレーン』に登場する艦の中には「改造」による強化が可能な艦がある。高難度海域の攻略を行なう際、改造艦の優秀な戦闘力に頼っている指揮官も多いはずだ。この記事では改造可能な艦、および元となった史実艦の歴史について書かせてもらおうと思う。艦が歩んだ歴史を知ることは、より『アズレン』世界を楽しむための助けになるだろう。

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戦艦 扶桑

重桜の巫女である戦艦扶桑は6-2、6-3、6-4のドロップで入手できるため、ある程度ゲームを進めている指揮官なら所持しているだろう。残念だが建造では入手できない。

扶桑の最大の魅力はなんといってもその砲撃火力だ。限界突破を行うことにより主砲砲座がプラスされ、補正値もアップしていくので運用するには最大限界突破を行うのが前提となる。三笠、長門、日向といった重桜の火力強化スキルを保有する艦と組ませると、高い戦闘力を発揮してくれるだろう。

扶桑自身が保有するスキル「砲火制圧」も、LV1の時点で自身の火力を10.0%上昇。LV10では20.0%上昇させる効果があるため、強力な弾幕をセイレーン艦隊めがけて撃ち放つことができる。ただ、対空能力は低いのでその点は注意が必要だ。対空能力が高い艦を前衛に配置するなどして対処しよう。

扶桑改

扶桑改は艦種が戦艦から航空戦艦へと変化し、副砲の代わりに水偵を装備可能になる。主砲攻撃と航空攻撃を1隻で担当できるようになり汎用性が増すが、副砲による近接火力が無くなるため自己防衛能力は低下。

さらには主砲砲座も-1されてしまうため、未改造扶桑の魅力であった砲撃火力も落ちてしまう。扶桑の火力を頼りにしている指揮官は最後まで改造せずに途中で止め、ステータス向上の恩恵を受けるだけにとどめるという選択肢もある。

新たに追加されるスキル「予備攻撃隊」は航空攻撃時に航空弾幕を張るスキルだ。1度の戦闘で1回しか発動しないが長期戦にならなければそれほど問題にはならないだろう。

扶桑のフル改造に必要なレベルは85。必要な資金及びアイテムは以下のとおり。

戦艦改造図T1×17
戦艦改造図T2×11
戦艦改造図T3×3
空母改造図T3×2
艦載機パーツT3×60
資金×16600

艦載機パーツT3が少々つらいが、元がR艦ということもあり改造はそれほど難しくはない。

 

史実の扶桑


▲竣工時の扶桑(画像はwikipediaより)

戦艦扶桑は1912年(明治45年)3月11日に呉海軍工廠で起工し1915年(大正4年)11月8日に竣工した、日本初の超弩級戦艦である。

当時の日本は巡洋戦艦金剛建造の際にイギリスのヴィッカース社から技術を学んだ日本人技術者の手により、比叡、榛名、霧島を次々と建造することに成功。建艦技術は向上の一途をたどっていた。

扶桑型戦艦は日本の技術陣が1から設計した初の戦艦でもあり大きな期待が寄せられ、計画段階では扶桑山城伊勢日向の4隻が同設計で建造される予定となっていた。

欠陥戦艦と呼ばれて

しかし、江戸時代が終わってからまだ50年ほどしか経過していない時代。いかに3隻の巡洋戦艦を建造したとはいえ、基本設計はイギリスで建造した金剛を踏襲したものでしかなく、新規の設計に関する知見は未だ日本の技術陣には不足していた。

完成した扶桑の最大速力は22.5ノット。これは金剛型(初期)の27.5ノットと比較してかなりの低速だった。さらには舵の具合が悪く取り扱いが難しく、「直進するのすら難しい」「180度転舵すると行き足が止まった」という証言も残されている。

また主砲である14インチ砲12門および副砲の6インチ砲8門を一斉斉射すると振動が激しく、さらには爆炎で艦橋が覆われるという欠点も大問題となった。


▲『アズレン』の扶桑も主砲斉射時の振動を気にしている

装甲材がイギリスの物より質が悪く、また砲塔数の多さから防御を必要とする面積も大きかったため万全な防御能力を付与するには至らず、これが後の扶桑喪失の一因ともなっている。

設計段階から大きな問題を抱えていたことが明らかになったため、続けて建造予定だった3艦の内、山城は若干の設計変更が行われて建造されたが、伊勢日向は予算の都合もあり開発が延期。のちに伊勢型戦艦として再設計され建造された。

第一次近代化改装


▲1933年時の扶桑(写真はwikipediaより)


1933年(昭和8年)5月12日。扶桑の艦歴で最初となる近代化改装が終了した。機関部は改装され最大速力は24.7ノットへと向上。 また主砲発射による爆風の対策として艦橋も新装されている。

まるで違法建築物のように上に伸びあがったパゴダマストは扶桑および同型艦の山城の特徴ともなった。

なお、扶桑山城は艦橋すぐ後ろにある第3砲塔の方向で見分けることが出来る。前を向いているのが扶桑。後ろを向いているのが山城だ。


▲近代化改装後の山城。第三砲塔が後ろ向きになっているのが確認できる(写真はwikipediaより)

翌年の1934年(昭和9年)には第二次近代化改装が行われ、 射撃指揮装置が一新。バルジや対空火器の増設も行われた。

太平洋戦争

1941年12月の太平洋戦争開戦時。すでに時代は航空主兵に移っており、空母機動艦隊が主力として運用されていた。扶桑を始めとする戦艦群もほとんど出番などなく、長門・陸奥を擁する第一戦隊と共に出撃した扶桑には、損傷艦のえい航要員としての役割が与えられていた。

ミッドウェーの際にも出動してはいるがアリューシャン方面への陽動を担当。米軍との交戦はなかった。その後は、練習艦としての役割を与えられ、呉近くの柱島で運用されることとなった。

航空戦艦改装案

ミッドウェーで主力の四空母(赤城加賀飛龍蒼龍)を失った日本海軍は、旧式艦の改装空母化及び航空戦艦化を模索。このとき扶桑も改装候補として名前が挙がったが、伊勢型戦艦2番艦の日向の第5砲塔が事故により損傷していたこともあり、修理がてら伊勢型が航空戦艦化されることに決定。

扶桑の航空戦艦化は見送られ、その後もひたすら内地で待機する日々を送ることとなった。

耐え忍ぶ日々

1943年。爆沈した戦艦陸奥の救助活動を行った扶桑は、7月に入り陸奥の代わりにトラック諸島へと進出する。

しかしながら扶桑は鈍足がたたり主要作戦には参加できず、航空隊の標的訓練艦として日々を過ごした。

1944年6月、ニューギニア西部のビアク島で孤立する日本軍を支援するための渾作戦が発動。ここでついに扶桑は作戦担当官に選ばれ実戦への初出撃を果たしたが 「アメリカ海軍の空母機動部隊がニューギニア方面の海域で行動中の公算大 」との一報がもたらされ、作戦は中止。

退避することになったが実際に存在した艦隊は米豪混成の小艦隊であり、正面きって戦えば扶桑が一方的な勝利をおさめることが出来た公算は非常に高かった。

なおこの際に扶桑はいち早く離脱したために叱責されるという、踏んだり蹴ったりな結末となった。


▲『アズレン』の扶桑には、厄に取りつかれているという自覚がある。実際史実の扶桑には厄払いでもしたほうが良いのではないかというエピソードが多い

眼前の惨敗

6月19日。マリアナ沖の戦いが生起する。この戦いにおいて扶桑は後方待機を命じられ、味方機動艦隊が壊滅するさまをただ眺めることしかできないという屈辱を味わう。

この戦いで日本軍は米軍への反撃能力をほぼ喪失。敗戦への道を一直線に歩み始める。扶桑はかろうじて日本への脱出に成功し久しぶりに山城との邂逅を果たしたが、最後の時は刻一刻と迫りつつあった。

レイテ沖海戦

10月。フィリピン奪回を企図した米軍の大艦隊を迎撃すべく、日本海軍は残り少ない艦艇をかき集める。扶桑山城ともども西村祥治中将率いる西村艦隊に編入。米軍の目を主力である栗田艦隊から引き離すための囮の役割を担うこととなった。

10月24日にB24の編隊と交戦した西村艦隊は、翌25日にフィリピンのレイテ湾に突入すべくスリガオ海峡を通過しようと試みる。


▲米軍機から撮影された扶桑(手前)。後方は最上(写真はwikipediaより)

しかしスリガオ海峡には、真珠湾攻撃で沈んだはずの米戦艦群が待ち構えていた。 ウェストバージニア・メリーランド・テネシーカリフォルニアペンシルヴェニア・ミシシッピ(ミシシッピのみ真珠湾で攻撃を受けていない)は真珠湾の後に浮揚・修理改装を受け、強化再生を果たしていた。

西村艦隊を待ち受けていたのはこの戦艦6隻に加え重巡洋艦4隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦28隻、魚雷艇39隻の合計81隻。これに対し西村艦隊は扶桑山城・航巡最上・駆逐艦山雲・朝雲・満潮・時雨のわずか7隻のみ。戦う前から勝負の行方は明らかだった。

まず魚雷艇群の攻撃を受けた西村艦隊だったが、扶桑山城が協力して副砲で魚雷艇3隻を撃沈する。これが扶桑の最初で最後の戦果となった。魚雷艇からの攻撃すべてをかわし、北上した西村艦隊は米軍駆逐艦隊に遭遇。砲撃を行ったが、米駆逐艦が放った魚雷群が真っ先に扶桑へと突き立った。

午前3時7分。右舷に魚雷を受けた扶桑は艦隊から落伍。復旧作業が行われるが2発目の魚雷を受けて電源を喪失。3時10分(米軍側記録では3時38分。諸説あり)には弾薬庫が誘爆して扶桑の船体は真っ二つに割れ、艦首前半部分は水没。 艦尾後半部分は米重巡ルイスビルが砲撃で沈めた。

4時19分には山城も沈み、西村艦隊は時雨を残して壊滅。扶桑たちは日本の敗戦を見ることなく、南の海に散った。

73年後

スリガオで扶桑たちが沈んでから73年後の2017年。マイクロソフト共同創業者のポール・アレン氏が海底で眠る扶桑たちを発見。その映像を公開した。


▲扶桑のスクリュー写真(ポール・アレン氏のfacebookより)

このときポール・アレン氏が発見したのは扶桑・山城・朝雲・山雲・満潮。残念ながら最上の発見には至らなかった。だがいつか、彼ならば見つけてくれると筆者は固く信じている。

なお、ゲームマニアックスではポール・アレン氏が発見した艦についての特集を行っているので興味のある方はぜひ見ていただきたい。

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▲『アズレン』の扶桑は山城と共に巫女として活動している

『アズレン』の扶桑は、重桜艦隊の巫女として季節季節のイベントで立ち働いているようだ。史実の不幸を打ち払い、セイレーンとの戦いに打ち勝てるかどうかは指揮官の手腕と熱意にかかっている。

もしあなたが扶桑の心を勝ち取ることができたなら、彼女は普段は見せない新たな姿を見せてくれることだろう。


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