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『アズレン』改造艦の歴史を探る(6):「エクセター」イギリス最後の重巡洋艦『アズールレーン』

『アズールレーン』に登場する艦の中には「改造」による強化が可能な艦がある。高難度海域の攻略を行なう際、改造艦の優秀な戦闘力に頼っている指揮官も多いはずだ。この記事では、改造可能な艦、および元となった史実艦の歴史について書かせてもらおうと思う。艦が歩んだ歴史を知ることは、より『アズレン』世界を楽しむための助けになるだろう。

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重巡洋艦エクセター

ロイヤル所属の重巡洋艦エクセターはもっとも早いドロップ海域が6-2、建造でも比較的出づらいSR艦ということもあり、若干入手しにくい艦だ。

改造まえの彼女は装填と対空は高めだが、耐久力と回避が低めのため長期戦には向いていない。

スキルに関しては火力強化スキルである「火力全開」と、発動時に味方全艦の被ダメージを軽減する「防御司令」を保有している。どちらのスキルも戦力を底上げするために有効なスキルだ。総合的な性能としては、火力はそこそこだが耐久力の低さがネックとなり脆さがある。運用には慎重さが求められる艦と言えるだろう。

ただしエクセターには非常に重要なポイントがある。それは、ユニコーン高雄の声をあてている加隈亜衣さんの担当キャラの1人ということだ。ユニコーン高雄の声と演技のギャップに驚いた指揮官も多いだろうが、エクセターではまた別の魅力を放っている。ぜひ秘書官にして、加隈さんの声と演技を楽しもう。

 

エクセター改

 

改造が施されたエクセターの性能は、火力・装填・対空において重巡の中でもトップクラスとなる。弱点だった耐久値も他の重巡と肩を並べられる程度には上昇するため、運用もかなり楽になる。少なくとも連戦途中にエクセターだけがあっさりやられるということは少なくなるだろう。

さらに敵重巡に与えるダメージが上昇するスキルである「大物狩り」を習得できるため、火力は一層強化される。特に重巡がボスとして登場するステージでの活躍が期待できるだろう。

改造に必要なアイテム及び資金は巡洋改造図T1が13個。巡洋改造図T2が9個。巡洋改造図T3が7個。それに資金18100と同キャラないしはブリがひとつ。率直に言ってT3改造図がかなり厳しい。まめに難易度が高いハード海域を周回し、イベントなどで入手が可能な際には可能な限り狙っておこう。

 

最後のイギリス重巡・エクセターの誕生


▲史実のエクセター(写真はwikipediaより)
 

イギリスで建造されたヨーク級重巡洋艦2番艦エクセターは、1928年8月1日に起工し1929年7月18日に進水。1931年7月27日に就役した。姉艦にあたるヨークよりも1年以上間が空いての就役となったため、ヨークや前級のカウンティ級の建造で得られた知見が盛り込まれている。トップウェイトの増加に合わせて艦幅は1フィート広げられていて煙突の位置や形状、2基のカタパルトを装備するなど、ヨークとはかなりの違いがあるため、別艦種としてカウントされることもある。


▲姉艦のヨーク。自称魔導重巡砲艦。†フォース†を信じるのだ
 

この時期、イギリスは第一次世界大戦で受けた経済的な打撃が大きく、より小型、安価な重巡洋艦の建造を模索していた。ヨーク級は当初5隻の建造を予定しており、カウンティ級では8門搭載されていた20.3cm砲を6門に減らすなどしてコストダウンを図った。

しかし期待したほどの経費節減効果はなかった上に世界恐慌の直撃を受け、エクセター以降の建造はキャンセル。イギリスは、より安価な軽巡洋艦の建造に乏しい資金を注ぎ込むと決定し、結果としてエクセターはイギリスで建造された最後の重巡洋艦となった。
 

ラプラタ沖海戦:エクセター戦闘不能!

第二次世界大戦開戦後、ドイツの通商破壊戦によって大きな打撃を受けていたイギリスは、多数の部隊を派遣しドイツ艦の行方を負っていた。エクセターも重巡カンバーランド、軽巡エイジャックスアキリーズと共にG部隊を編成し捜索にあたっていたところ、撃沈された商船からの情報で、装甲艦アドミラル・グラーフ・シュペーの位置を知ることができた。


▲エクセターとエイジャックスはアズレン世界でも共同作戦を実施しているようだ。

アドミラル・グラーフ・シュペーは次にアルゼンチンとウルグアイの間を流れるラプラタ川の河口へと向かうと予想したG部隊は、整備中のカンバーランドを残し、3隻でアドミラル・グラーフ・シュペーの追撃に向かった。

1939年12月13日早朝、アドミラル・グラーフ・シュペーを捕捉したG部隊は交戦を開始するが、アドミラル・グラーフ・シュペーの砲撃を受け、 エクセターは6時25分に主砲6門中4門が使用不可能となるほどのダメージを受ける。それでも魚雷を放つなどして反撃を継続するが、再度の命中弾を受け電源が落ち、戦闘不可能となり撤退を余儀なくされた。

しかしながらアドミラル・グラーフ・シュペーも3隻の集中攻撃で大打撃を受け撤退。中立国であるウルグアイの港に逃げ込むが、ウルグアイからの通達により、72時間以内の出港を余儀なくされる。港の外にはエイジャックスアキリーズ、呼び寄せられたカンバーランドが陣取っていたため、脱出をあきらめたアドミラル・グラーフ・シュペーは自沈を選択。

こうしてエクセターの初の実戦は勝利を迎えたが、自身が戦場で勝利の美酒を味わうことはできなかったのだった。


▲アズレン世界でのロイヤル陣営とアドミラル・グラーフ・シュペーは上手くやっているようだ。

スラバヤ沖海戦:エクセターの最期

1941年12月。日本とイギリスは戦争状態に入った。修理が完了したエクセターは日本軍に対処すべく東インド諸島防衛のために極東へと移動する。1942年(昭和17年)2月27日、インドネシアのジャワ島攻略を意図した日本軍を迎撃するためにエクセターは僚艦と共に出撃するが、航空支援のために急行していた航空母艦(水上機母艦)ラングレーが日本軍航空機によって大破(後に味方駆逐艦により処分)させられてしまうという不利な状況での戦闘を強いられることとなってしまった。

重巡ヒューストンらと共にと出撃したエクセターは、日本軍重巡羽黒のものと思われる砲撃を受けて機関部を損傷し、離脱を余儀なくされる。3月1日、護衛の駆逐艦と共にセイロンへと向かおうとしたエクセターは日本海軍の駆逐艦、曙に遭遇。砲撃戦を開始する。

続々と集まってくる日本軍に包囲を狭められ、追い詰められたエクセターは逃走を試みるが果たせず、砲撃により再び機関を損傷してしまう。総員退去が開始されたタイミングで肉薄してきた駆逐艦・雷の雷撃がエクセターの右舷に命中。13:30にエクセターは転覆し、極東の水面の下へと姿を消したのだった。


▲沈没寸前のエクセター(写真はwikipediaより)

戦場の救出劇


▲雷(いかづち)の指揮官、工藤俊作艦長の命令により救助は実行された
 

沈没する船から脱出し、漂流していたエクセターの乗組員たち。彼らを救ったのは日本軍の駆逐艦、・山風だった。連合国側の潜水艦がいつ攻撃してくるか分からないという危険を冒して実行されたこの救出劇は長く世に知られることはなかったが、21世紀になり事実が明らかになった際には多くの称賛を浴びることとなった。生前に救出劇について語ることはなかったという工藤艦長は1979年に永眠。しかしいまもなお、その勇敢な行為は海の武士道として語り継がれている。


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